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SNS企画「つくばノスタルジア」アーカイブ

広報局では、開学50周年に向け「つくばノスタルジア」というSNS企画をFacebook、X(旧Twitter)、LinkedInで行いました。
筑波大学の過去と現在の写真を比較する「写真編」、懐かしの学食メニューを紹介する「学食物語」を展開し、卒業生をはじめとした方々から多くのコメントや「いいね」をいただきました。
最終的に「写真編」は計16回(関連記事を含む)、「学食物語」は計3回の投稿を行いました。開学50周年記念式典やイベントにご参加くださった方々もそうでない方々も、つくばの地を思い出していただけましたでしょうか?

この記事では投稿をアーカイブとして紹介します。

目次

写真編

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#01「ループ道路(ゆりのき通り)」

■問題編

筑波大学は来年、開学50年を迎えます。開学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。筑波大学に来られた方なら誰でも見たことがあるスポットだと思います。ここは一体どこでしょうか?​
ヒント:学内では「◯ープ」と呼ばれています。真ん中の車道と、両側の歩道がしっかりと分かれているのが特徴です。​
正解は、来週に!
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■解答編

「ループ道路(ゆりのき通り)」が正解でした。平砂学生宿舎西側から北を写したものではないか?など、ピンポイントで当ててくださった方もいらっしゃいました。なんと、当時この写真を撮影した1期生の方からもコメントをいただきました。ヒョロヒョロだったユリノキが、今は見事に成長しましたね。
南北に5キロ、東西に1キロの大学敷地を結ぶ環状の学内道路、通称「ループ道路」には、筑波大学循環バスが走っています。つくばマラソンのコースになるなど、地域の社会体育行事にも利用されています。
「つくばノスタルジア」写真編、これからも投稿していきます。お楽しみに!
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【つくばノスタルジア】ここはどこ?#02「体芸棟(5C棟)」

■問題編

筑波大学は来年、開学50年を迎えます。開学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。まだまだキャンパスが建設中だったため、学群を問わず授業はこの校舎で行われていたとか。この​建物名は?
ヒント:「南大門」と呼ぶ学生さんもいました。​
正解は、来週に!
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■解答編

「体芸棟」が正解でした。現在は「5C棟」と呼ばれています。写真は東側(体育センター方面)から西を撮影したものです。
今回は正解が多かったです。建物の呼び方の違いで皆さんの在籍していた時期がわかりますね!
ペデストリアンデッキ開通後は、追越・平砂宿舎に住んでいた方は通学の時に、一の矢宿舎に住んでいた方は買い物の際にくぐったのではないでしょうか。一面に埋め込まれたガラスブロックが斬新だった体芸棟ですが、改修の際に平面ガラスに交換されました。
俗に学生さんたちが「金魚鉢」と呼んでいたガラス張りの学生ラウンジのうち「芸バチ」には、今正式に「GEIBACHI」と表示されています。
また5C棟には体育ギャラリーもリニューアルオープンしています。来学の際は是非お立ち寄りください!(平日のみ。無料)
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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【つくばノスタルジア】ここはどこ?#03「本部棟」

■問題編

筑波大学は来年、開学50年を迎えます。開学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
バス通り沿いにあるこの建物、在学中一度も入る機会がない学生さんもいるかもしれませんが、大事な役割を担っています。
ヒント:建物前の三叉路に植えられていた枝垂れ桜が春の風物詩でした。
正解は年明けに!
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■解答編

「本部棟」が正解でした。写真は、大学公園バス停からループ道路を北向きに撮影したものです。​
今では「筑波大学中央」バス停といえば本部棟のすぐ横のイメージ。しかし1978年当時は現在の「大学公園」バス停が「筑波大学中央」だったとは驚きです。​
枝垂れ桜は東京文理科大学時代から生きる桜が1975年に移植されて来たたもの。毎年春に目を楽しませてくれた人気の写真撮影スポットだったものの、衰弱し2020年8月に惜しまれつつ姿を消しました。在りし日の姿を写真でご覧ください。​
また、 2021年以降企業各社のご支援によりバス停のベンチが新調されていっています。​
https://futureshipseat.sec.tsukuba.ac.jp/
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!​
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【つくばノスタルジア】ここはどこ?#04「平砂学生宿舎」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。開学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
この建物群、毎年つくばデビューする学生さん達を迎え入れ、沢山の思い出を与えてくれる場所です。
ヒント: 「住めば都」は、いまも昔も変わりません。
正解は来週に!
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■解答編

「平砂学生宿舎」が正解でした。写真は、平砂生活センター(共用棟)から南向きに撮影したものです。土ぼこり舞う広場には、木と芝生が植えられ憩いの場所に。
地味なクリーム色だった宿舎の建物は、改修によりカラフルに塗り替えられました。各棟にシャワーが設置され、追越・一の矢の大浴場は現在役目を終えています。着替えを片手にツッカケ履きで共用棟へ向かう姿は今や平砂だけのものとなりました。
毎年5月の「やどかり祭」は、何もないところから自ら楽しみを作り出す学生さんたちの気概が生み出したもの。手作り神輿やゆかたのコンテストが大いに盛り上がります。携帯もインターネットもなかった時代、食堂あり、売店あり、大浴場あり「半径100m以内で生活の全てがほぼ完結」という、ユニークなコミュニティがそこにはありました。友人の部屋に遊びに行って語り明かした夜は多くの卒業生にとって一生の思い出でしょう。
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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2023年

1974年

50年を経て、土ぼこり舞う広場は憩いの場所に。

大浴場から部屋への帰りに宅配便が受け取れるように。

令和×昭和。カラフルになった1号棟。引っ越しに大活躍のリヤカーは現役です。

毎年5月に開かれる宿舎祭「やどかり祭」。

創基151年筑波大学開学50周年を記念して、筑波大学の変遷を懐かしい写真で綴る「つくばノスタルジア」。今回は多くの新入生が青春を過ごした平砂学生宿舎。70年代の建設当時から、最新の国際交流型シェアハウス(グローバルヴィレッジ)まで。新しさと昭和の面影が同居するその様子を1分動画にまとめました。
「学生宿舎」について
https://www.tsukuba.ac.jp/campuslife/support-healthlife/
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【つくばノスタルジア】ここはどこ?#05「中央広場」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。開学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
ここは多くの人が見慣れた景色だと思います。でも、どこか違和感が。○○がない!?
ヒント:キャンパスで最も食事情が良いエリアかもしれません。
正解は来週に!
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■解答編

「中央広場」が正解でした。第二・第三エリアの間の池と噴水がある場所です。写真は、石の広場から北向きに撮影したものです。池と噴水は藻の発生を防ぐため最初から計画されていたそうですが、完成は1979年。その直前を捉えた貴重な写真でした。
施設部の資料によると、石の広場、芝生の斜面、流れの広場をあわせて「中央広場」と呼び、本学最大のシンボルスペースとして設計されたそうです。芝生の斜面は滝となる計画もあったとか。でも、友達とお弁当が食べられる芝生のままでよかったですね!
第二エリア食堂や三学名店街と呼ばれる各種料理店、そしてパン屋。10年ほど前にはハラールフードの食堂もオープン。ランチのチョイスには困りません。雙峰祭のステージは、現在石の広場に設置されますが、かつて池の上に「水上ステージ」が組まれていた時代もありました。
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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2022年

1978年

1978年。別の角度から。

コロナ禍前には、芝生はたくさんの学生さんたちの憩いの場でした。今年こそキャンパスに賑わいが戻りますように…!

喫茶部をぐるりと回廊が囲む造りだった「三学名店街」は屋内化され席の数も快適性もアップ!

今やすっかり石の広場のシンボルとなった「Miserere XVII 1999」 は、筑波大学の前身、東京高等師範学校出身の著名な彫刻家・中村晋也氏によるという作品で、2008年6月に寄贈されました。同じ像がバチカン美術館にも収蔵されています。

池の先の「天の川」。なぜかこの場所が話題になったことも…。

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#06「中央図書館」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。1980年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
ガラス張りの明るい空間に、立派な円柱のあるこの場所。奥の皆さんは何をしているでしょう?
ヒント:課題や論文の執筆でお世話にならない人はいない場所です。
正解は新年度に!
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■解答編

「中央図書館」が正解でした。2階エントランスホールの新聞閲覧コーナーを入館ゲート側から撮影したものでした。2008年、この場所に、大手コーヒーチェーン店が開業し、学生にも人気の憩いの空間になりました。
中央図書館は、体育・芸術図書館、医学図書館に続いて、1979年10月に開館しました。本学の附属図書館は、中央図書館に加え、図書館情報学図書館、大塚図書館を含めた4つの専門図書館で構成されています。約270万冊という国内有数の蔵書数を誇り、開架式であることも本学の図書館の大きな特徴です。
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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2008年、この場所に、大手コーヒーチェーン店が開業し、学生にも人気の憩いの空間になりました。

2階エントランスホールの新聞閲覧コーナーを入館ゲート側から撮影したものでした。

中央図書館といえばこの吹き抜け。4階まで続く開放的な空間が印象的です。雑誌の書架とソファが情報端末に替わったところに時代を感じます。現在ここは「ラーニング・スクエア」と呼ばれ、ライティング支援やプレゼンテーションなどに関する各種セミナーが開かれることも。

現在、新聞閲覧コーナーは本館から新館2階に向かう通路の手前にあります。

2011年3月11日の東日本大震災発生時には、中央図書館では蔵書の6割にあたる110万冊が書架から落下しました。しかし、大学の「知の拠点」を1日でも早く元に戻そうと、教職員や学生さん延べ539人の復旧ボランティアの皆さんが協力してくださり、約2か月で全サービスを再開することができました。

ラーニング・スクエアには「学生サポートデスク」が設置され、 「ラーニング・アドバイザー」と呼ばれる大学院生の先輩たちがレポートや論文の書き方、図書館の活用方法等をアドバイスしてくれます。アカデミックスキルの向上に役立つ書籍も配架されています。

図書館はただ調べものをするだけの場ではなく、学びのプラットフォームです。学生さんが集まって、様々な情報資源から得られる情報を用いて議論を進めていく「場」を提供することも大学図書館の重要な役割となっています。

ところで、筑波大学附属図書館には「がまじゃんぱー」くんという、とてもかわいいキャラクターがいます。
卒業式や雙峰祭など、イベントの時に時々現れますので、見かけたら是非一緒に写真を撮ってあげてくださいね。附属図書館のTwitter @tsukubauniv_lib をフォローしておくと出没情報がわかるかも…?

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#07「追越学生宿舎」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。開学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
ノコギリ状の建物が並ぶ一帯。どこから見たどのエリアの写真でしょう?
ヒント:教室までは遠いけど、市の中心部には近い。
正解は来週に!
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■解答編

「追越学生宿舎」が正解でした。「松見公園展望塔(通称・栓抜き塔)」から撮ったものです。新歓のお花見で活躍する宿舎東側の桜並木も、手前のメディカルセンターもまだなく、もともとあったアカマツ林が目立ちます。
なお、栓抜き塔があるのが「松見池」、第一エリアに面しているのが「松美池」ですので、お間違いなく!
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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2023年

1976年

松見公園展望塔と、4月にはお花見が楽しめる桜並木。誰が名付けたのか、この形を見れば「栓抜き塔」の通り名にも納得です。

松見公園展望塔の竣工は1976年。この写真はその直後に撮影されたもののようです。南側に目を移すとペデが橋を越えたところで水たまりに突入。1979年に開学する図書館情報大学(現筑波大学春日エリア)も、1983年に竣工するつくばセンタービルもまだありません。

2023年現在の写真には、右の方に春日エリアの一部に建てられたグローバルゲストハウス、つくばエキスポセンターや筑波学院大学(旧東京家政短大)などが写っています。
1976年に制定された学生歌「常陸野の」に唄われるように「常陸野の原野を拓き 真白なる塔そびえたり 」という風景がそのとおりだったことがよくわかります。
https://www.tsukuba.ac.jp/about/public-branding/studentsong/

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#08「一の矢学生宿舎」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。1980年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
80年代にもまだ真新しいこのエリア。この写真の場所はどこでしょう?
ヒント:池のほとり
正解は来週に!
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■解答編

「一の矢学生宿舎」が正解でした。この建物は兵太郎池に面した一の矢34号棟です。「一の矢」の地名は千年以上前に創建した「一の矢八坂神社」に由来します。農作物を荒らすカラスを退治するために弓の名手が集められ、放たれた1本目の矢が落ちた場所が「一の矢」なのだとか。詳しい伝承は神社を訪れ石碑を読んでみてくださいね。
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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2023年

1987年

「一の矢」の由来となった一の矢八坂神社

兵太郎池に面するいくつかの棟は主に短期留学生向けに使われて来ました。2016年、改修を経て「ショートステイハウス」としてリニューアされ、フライトの関係で宿舎事務所の営業時間外に到着しても入居ができるよう改善されました。

実は一の矢36号棟の裏手にひっそりと「飛び石」があり、対岸まで渡れます。誰が設計したのかこのギミック。遊び心が伺えますね。渡る時は十分気をつけて池に落ちないようにしてくださいね。

一の矢宿舎エリアから東大通を渡ったところに馬場があるのをご存じでしょうか?馬術部の部史によれば馬場が完成したのは1985年。しかし1978年には前身団体が活動を開始していたという、実は歴史ある部です。

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#09「体育合宿所」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。開学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
この写真の建物はどこでしょう?
ヒント:この屋根、見たことがあるようなないような…。
正解は来週に!
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■解答編

「体育合宿所」が正解でした。第一サッカー場とハンドボール場の間にあり、写真は競技場エリアを東西に貫くペデ上から北向きに撮影したものです。今では目立たないこの建物。開学の年前後に重要な役割を果たしました。
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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2023年

1974年

三笘薫選手、安藤梢選手など世界に冠たるサッカー選手たちを育んできた第一サッカー場。今年3月に人工芝と照明設備がクラウドファンディングにより改修され、聖地「イチグラ」が生まれ変わりました。

1973年の開学当初、筑波キャンパスは体育グラウンドと合宿所から始まりました。真新しい「筑波大学」の看板がここに掲げられました。東京教育大学の一角にあった「筑波大学創設準備室」から移って来た事務の先輩方は翌年から学生さんたちを受け入れるため、文部省への設置審査の書類作りで徹夜続きだったといいます。

1974年。体芸棟から合宿所を望む。テニスコート左のプレハブ群が当初本部棟機能を担った仮庁舎。この時代、昼間はキャンパス建設のためのブルドーザーの轟音が響き、夜には信じられないような静寂が訪れたそうです。

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#10「(情報処理)実習室」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。開学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
レトロフューチャーなマシンが並ぶこの部屋。この場所はどこでしょう?
ヒント:FORTRAN
正解は来週に!
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■解答編

「(情報処理)実習室」が正解でした。この場所の特定は困難を極めました。情報系の職員から当時在学していた先生方をも巻き込んでの大捜索の結果、体芸棟1階の5C108(旧54-A01)会議室と特定されました。筑波大学は開学当初から理系文系を問わず共通科目「情報処理」を必修とする先進的なカリキュラムを採用していました。
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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2023年。5C108会議室。

1975年。校舎が体芸棟しか無かった時代。しかし「情報処理」は必修。実習は場所を転々としながら行われていました。当時の開設授業科目一覧によると翌年には実習は1C棟で行われています。この写真はこの年にだけ撮れた貴重な写真と言えます。

1977年、計算機センター(現在の学術情報メディアセンター)の利用が開始されました。ペデから見て外国語センター(現CEGLOC)の西側奥、大学会館バス停の近くにあります。

2023年の学術情報メディアセンターの実習室。PCのリプレースが終わったばかりでピカピカです。今では学内16ヶ所にサテライト室(実習室)があります。開学当初の端末の何百万倍の性能を持つスマートフォンを誰もが持ち歩く時代が来るとは誰が想像したでしょう。

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#11「1E棟(第一エリア)」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。開学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
この建物の名前、またはこのエリアの名前は何でしょう?
ヒント:大気
正解は来週に!
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■解答編

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#11(解答編)
「1E棟」または「第一エリア」が正解でした。みんな大好き「大気」像のうしろあたりです。
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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2023年。

1975年。

「大気」像は、長崎の平和祈念像の制作にも携わった晝間 弘(ひるま ひろし)氏の作品。進むべき先を指し示すかのような力強さを持つこの像が設置されたのは2004年。IMAGINE THE FUTURE.よりも10年遡ります。しかし最初に制作されたのは1964年と筑波大学より年上でした。

今では各棟ごとにカラフルに色分けされている第一エリアですが、開学から30年近くグレー一色でした。昔の卒業生にとってはこちらの色の方が懐かしいのではないでしょうか。

2007年、それまで本部棟にあった学生支援や就職支援を担う組織が、学生さんたちがアクセスしやすい中心部に集められ「スチューデントプラザ」が誕生しました。翌年には学生さんの「やってみたい」を応援するT-ACTも活動を開始します。

さらに2021年、学生生活支援や悩みを相談できる部門に国際交流部門も統合され、「スチューデントサポートセンター」が発足しました。第一エリアはますます「学生さんが頼れる場所」となっていきます。

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#12「大学会館」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。開学まもない1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
遠くにまだ工事中のエリアが写っています。この写真はどこから見た何でしょう?
ヒント:嘉納治五郎先生之像
正解は来週に!
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■解答編

「1C棟」から見た「大学会館」が正解でした。体芸棟の次にできたのは大学会館を飛ばして第一エリアだったんですね。
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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2023年。

1976年。右の階段に佇む二人は今どうしているのでしょう。

大学会館前に建つギリシャ・オーダーの石柱は東京日本橋にあった村井銀行の正面を飾っていたもの。ビル建て替えの際に美しいコリント式の柱を残したいと筑波大学に寄贈されたそうです。実は半円柱が2つ合わさって1本になっています。

今や入学式や卒業式の人気記念写真撮影スポットなっている嘉納治五郎先生像がこの地に建てられたのは2010年。朝倉文夫氏による威風堂々とした晩年の嘉納先生の像は、ここのほか現存する像は東京キャンパスの占春苑や講道館前など全国5か所にあります。

大学会館B棟には書籍部や郵便局、画材店など、何かとお世話になる店舗が並んでいます。郵便局前には東京2020オリンピックでの永瀬貴規選手(体育専門学群卒業)の金メダル獲得を記念して「ゴールドポスト」が設置されています。来学の際は是非見てみてくださいね。

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#13「陸上競技場」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。開学前後の1970年代に撮影されたキャンパス内の写真が出てきました。
この写真はどこでしょう?
ヒント:ここからオリンピックに出場した選手も。
正解は来週に!
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■解答編

「陸上競技場」が正解でした。サッカーグラウンドとループ道路を渡るペデの間から西を見た写真です。開学前後に近隣町村の団体が見学にいらした時の様子です。
老朽化が心配された陸上競技場でしたが、2023年、無事改修されました。ご寄附いただいた皆さん、ありがとうございました!
「つくばノスタルジア」写真編、次回をお楽しみに!
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2023年。
筑波大学が輩出したオリンピックメダリスト133名の一覧をこちらでご覧いただけます。
https://opop.tsukuba.ac.jp/archive/medalists/

2023年。
ループ道路を渡った後、200mのスタート地点付近の土手から、西方向を撮影したものです。

2023年。
ループ道路沿いの土手から北を望んだ写真です。

【つくばノスタルジア】ここはどこ?#14「平砂1号棟から北を撮った写真」

■問題編

筑波大学は10月に開学50年を迎えます。開学直後の1974年に撮影された「伝説の写真」を一期生の渡部史人氏からご提供いただきました。この写真はどこから見たどちらの方角でしょう?
ヒント:雨が降ったら長靴で カンカン日が照りゃ砂埃♪
正解は来週に!
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■解答編

「平砂1号棟から北を撮った写真」が正解でした。
いよいよ今週末は開学50周年記念式典とイベント。皆様のご来場・ご視聴を心からお待ちしています!
https://50th.projects.tsukuba.ac.jp/ceremony/
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2023年。木々が生い茂り緑一色。目印は土管だけです。

1974年。よく見るとズボンの裾をまくって登校している先輩方も。ヒントの「やどかり音頭」の歌詞にも納得がいきます。いつの時も私たちは未来を想い拓く開拓者でした。そしてこれからも。

2023年。平砂1号棟が12階建てくらいだったら、こんな風に総合研究棟D越しに5C棟(体芸棟)と筑波山が見えたことでしょう。

1974年。通学路の写真が残っていました。

2023年。ここにスーパーとコーヒー店ができるとは誰が想像したでしょう。

1975年。体芸棟は完成したものの、平砂からの通学路はまだ泥道だったようです。

2023年。ペデが整備され、もっと人工物が写るかと思い屋上に登ってみたら、期せずして「大学なのか森なのか」を物語る写真が撮れてしまいました。

【つくばノスタルジア】ここはどこ?(謝辞)

筑波大学は10月1日、開学50周年を迎えます。
これまで「つくばノスタルジア」で紹介させていただいた写真の多くは、自然学類一期生の斎藤実氏が2014年に開催された「第一期生の集い」の際に広報室に提供してくださったものをベースに構成させていただきました。
改めまして、斎藤氏、渡部氏、元企画となるEveryday Tsukuba Projectの立案者・古畑翼氏、写真を提供してくださったつくば市、中央図書館、その他皆さんのご協力に感謝いたします。
今週末はいよいよ記念式典と記念イベントです!
是非、紹介した場所の”今”を訪ねに来てください。
https://50th.projects.tsukuba.ac.jp/ceremony/
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【つくばノスタルジア】つくば駅南北自由通路を50周年で埋め尽くす「ポスタージャック」を開始!

つくば駅改札前の南北自由通路を創基151年筑波大学開学50周年関連ポスターで埋め尽くす「ポスタージャック」企画を開始しました!
記念式典や記念イベントのお知らせのほか、これまでFacebookやX(旧Twitter)等で展開して来た、筑波大学の過去と現在を比較紹介する企画「つくばノスタルジア」のポスター版も掲示しています。つくば駅をお訪ねの際は是非足を止めてお楽しみください。
〇詳細はこちら
https://50th.projects.tsukuba.ac.jp/news/20230906194900/
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学食物語

【つくばノスタルジア】学食物語 #01「新旧カツ弁」

筑波大学は来年、開学50年を迎えます。学生生活を支える“学食”にまつわるエピソードをご紹介していきます。 今日の懐かしい写真は、通称2食(第2エリア食堂)の「カツ弁」です。
“ソースがしっとり染みた衣と真っ白なご飯の一体感”に、ハマる人が続出したロングセラーメニューながら、10年ほど前に一旦姿を消しました。しかし、今年初めリニューアルした「ソースカツ弁」が再登場!ソースはやや控えめ、おかずも付いて彩り豊かになりました。開学50周年を迎え学食の味も変化しています。
みなさんの思い出の学食の味は何ですか?
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【つくばノスタルジア】学食物語 #02「鶏めし」

今年開学50周年を迎える筑波大学。今回ご紹介するのは、学内の食堂で最も歴史あるお弁当のひとつ「鶏めし」です。
甘いタレと桜デンブが特徴。柔らかい銘柄の鶏肉や地場産のお米を使うなど、安全性と安さにこだわる“2食(第2エリア食堂)”ならではの昔ながらの味。未だ300円台で買える学生の味方です。
大学食堂の変わらない味と変わる味。次回は大きく変わった喫茶部の味をご紹介します!
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【つくばノスタルジア】学食物語 #02.5「サラダとりめし」

2食の鶏めしに寄せられた多くの反響を受け、最近登場した「サラダとりめし」をご紹介します。従来の「鶏めし」に野菜が加わり小鉢を足さなくても、よりヘルシーに。
暗算が早いレジのスタッフに触れた方もいました。年代によって「暗算お姉さん」とも「公文おばさん」とも呼ばれていたようです。既に退職されていますが、御年90歳近いそうです。
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